能登半島地震で被災して感じた事【画像大量】長いです

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はじめに…

被災された皆様ならびにご家族の皆様に、心からお見舞い申し上げます。

タイトル通り2024年の正月に帰省していたタイミングで能登半島地震に遭い、被災しました。

その時から1年ちょっと経った今、感じた事をを文字で残したいと思います。

動画ではこちらから⇩

【能登半島地震】2024.01.01元旦の発災から自宅に帰還するまでの長い2日間【避難所生活】

写真や動画を繋げてあります。

よろしかったらどうぞ。

地震の直前

地震前までの背景

背景というか前提というか、これでたまたま助かったというか、いろんなミラクルに繋がったというか…

1:親戚の家に正月の挨拶に来ていた

2:いつもなら自分たちの家族だけで訪問していたが、たまたま妹夫婦と一緒に来ていた

3:いつもなら夕方に帰る予定だったが、友と釣りに行く予定だったので早めに親戚宅を出た

4:妹夫婦と2台で行動していた(ランクルとノア)

海とランクルっていいなぁーって思ってたまたま地震の3時間前に撮ってた写真です

情報のスクショです

地震に遭遇

ここから時系列で

釣りに行く予定だったので16時ぐらいに親戚宅を出る。

16:06最初に震度5ぐらいの地震が来る。

この時は運転中でした。

通知は来ていたけど、揺れを感じなかったのでそのまま徐行した。

16:10 本震の震度7(M7.6)に遭遇

めちゃくちゃ揺れたので車を停める

その後、揺れがおさまったので車を走らせる

そして少し走ったらこの様子

動画で揺れた後に停まったところの前後は道がヤバかった。

16:20撮影

退避行動

抜け道が家屋の倒壊で通れない

結果論ですがたまたまこれで正解でした。

普通の車では通れない。

そしてスマホに来る通知が…

大津波警報5m

ちなみにここは海抜2m。

早く逃げないと!!!

後ろを走っていた妹夫婦はトヨタのNOAH。

2WDで段差を越えられる車高は無い。

橋の継ぎ目がことごとく30cmぐらいの段差ができている。

選択肢は一つ

NOAHを乗り捨ててランクルで逃げるしかない

妹旦那氏も躊躇なく乗り捨てを選択。

ランクルに我々家族(4人)と妹夫婦家族(5人)の計9人を乗せて高台を目指す。

乗車定員オーバーですが、緊急避難なので言ってられない。

車での避難は推奨されてないかもしれませんが、田舎なので前に車も走ってなく(そもそも普通の車が走れない状況)徒歩より早いと判断したため。

子供も5人、うち小さい子(2歳)もいたので。

途中、道路が割れてたり亀裂が入ってたり。

すぐ横の川なんか地震後すぐに泥水が増水してるし。

いつもはこの3分の1ぐらいの水量 16:21撮影

道路には山から落ちてきたであろう落石(というか岩みたいなものも)や倒れたハザ(米を干すやつ)なんかあって、人力でよけれるものは避けながら逃げた。

とにかく逃げた。

震源はこの時点でどこかはわからない。

ちょうどランクルのTVも電波の悪いところに差し掛かり情報が取れない。

なのでとにかく高いところを目指した。

津波から逃げる

16:40撮影

とりあえず高台に避難

道路が板チョコを割ったみたいにパキパキ

近くに介護施設?みたいなのがあったが停電しているようで真っ暗…

自動販売機も停電で使えない状態。

そしてここのちょい上が行き止まりだったので、最高到達点まで行った。

そこで津波の恐怖を感じながらやり過ごす…

その間にも余震がひっきりなしにやってくる。

小さな規模の地震は数分おきに。

大きな余震も普通にくる。

たまたまカメラを回していた時に遭遇した、震度5強の余震

高い電柱がギシギシ不気味な音を立てて揺れているのが余計に恐怖心を煽る。

実家に帰ろうと試みる

1時間ぐらい経っただろうか?

少し下まで降りて様子を見に行ったけど津波は来なさそうなので実家に帰る事を決意。

実家に避難するために移動

車を走らせる…

停電している区域は真っ暗ですごく不気味…

道沿いのファミマは電気が点いている。

でも帰る事を優先して寄らない事に。

しかしこの後判断が間違っていたことに気づく…

実家に向かって走らせる。

道路はバキバキ

ひび割れや崩落がそこら中で起きている。

タイヤに負担をかけないよう、慎重に走らせる

しかし…

通れる道がない!

あちこち迂回しながら進む…

山の方に来たけどこの辺もかなりヤバイ…

傾いた家に潰された車、余震が来たら…

こちらも巻き込まれる可能性が出てくる。

18:06撮影

ここしかない1本道

帰れると信じて進むけど…

実家に帰るのを諦める

諦めた理由は…

道路が土砂崩れで寸断している!

しかも土砂崩れの付近からパラパラ何かが落ちてくる音が…

危ない!

余震が来たら巻き込まれる!

帰宅を諦めて避難する事に

そう悟った我々は帰る事を諦める

一旦先ほど通ったファミマを目指して戻ることに。

食料や水分を調達すべく先ほどスルーしたファミマを目指す。

途中結構な段差があったのでランクルの4Lを使ってみる

18:47撮影

ファミマまで戻る途中で路線バスが停車していたので運転手さんに話を聞く。

どうやら輪島方面の道は全て崩落や土砂崩れで通れないらしい。

マジか…

これで完全に帰路は絶たれた。

遠回りしようが実家には帰れないことが確定。

さてどうする?

避難所を探す

発災後に電気が通っていたところに行けばなんとかなるかも…

淡い期待を込めて戻る事に。

この時すでに携帯は不通。

TVは映ったり映らなかったり(山間なので)

不安を感じながら来た道を戻る。

さっき通った時より地割れが開いてるような…

とにかく安全に急ごう。

さっき通ったファミマまで来てみたが…

地震発生から4時間後

『あぶないのでひなんしました』

そうだよなぁ…

さっき通った時(発災から2時間後)ぐらいまでは電気付いてたけど安全第一だもんね。

安全に逃げられたならヨシ!

ひっくり返ったレジや散乱した商品が揺れの大きさを物語る。

しかしこの辺は電気が来ているようだ…

人が集まってそうなところを目指そう!

避難所発見

しばらく走ると小高い丘の上に灯りが…

どうやら中学校らしい

とりあえず行ってみると…

避難所の被害状況

入り口の扉は倒れてガラスが割れている。

下駄箱も倒れてるし、靴も散乱している。

地割れもすごい

雨水の排水溝もズレてしまっている

避難所の中は…

避難所内も同様にかなりダメージを受けている

トイレの壁

タイルも割れ、浮き上がっている

玄関のコンクリ壁もご覧の有り様

あちこちヒビだらけ

この大きさのコンクリ片が頭に当たったら…

そう思うとゾッとする。

地震の揺れてる最中の避難は危険だと言うことがよくわかる

非常口の案内も揺れの激しさを物語る

学校にあった音響設備?

かなりの重量物だったけどこれだけ激しく動いたことの証左

唯一テレビのあった校長室

このバカでかい金庫もかなり動いた模様…

こんだけ動いたんか…

元に戻すの不可能なレベル

地震のパワーを感じる

消火ホースの扉も開いている。

元に戻そうと思ったけど歪んでいて閉まらなかった。

教室の様子

机と椅子はズレてはいるものの、落下物がないので散らかってはいなかった。

学校で被災したら机の下に隠れることが理にかなっていると思った

避難訓練の重要さに気づく

生徒達の私物が散乱している

ここは図書室

本棚の本が全てと言って良いほど落下

その落下した本を被災者全員で片付ける

みんなで協力して横になれるスペースを作る。

就寝スペースの確保

このへんの連携が素晴らしい。

日本人でよかった。

なぜならここが避難所の寝床になるからだ

当初は体育館に避難していた。

しかし移動の指示がある。

その理由は…

暖房の効率が悪いから

なのでこの図書室が避難所の寝床となった。

(奥に見えるのが図書室入り口)

避難所にあった物資はこれだけ…

この時はまだ空きスペースもありそこそこ快適でした。

電気も来ていたし、灯油のストックもあった。

この施設(中学校)は指定の避難所ではなかったので、こういう物資がほとんどありませんでした。

ほんの少しだけストックがあった程度

これを分け合うことになるのだろうけど…

圧倒的に足りないけど我々は若いから我慢。

車にあったストックで我慢。

親戚の家を出る時にもらった『ステラおばさんのクッキー』をこっそり分け合う。

とりあえずは子供達へ。。。

我々親は、胸がいっぱいというかなんというか…

よくわからない感覚でお腹が空かない。

変に交感神経が優勢になっているような感覚。

地震当日は避難所で就寝

とりあえずこの先長くなりそうだと確信。

子供達を慣れない避難所で寝かすことにzzz

この時、時間にしておよそ22時ぐらいだっただろうか…

続々と近所にお住まいの高齢者さん達がこの避難所(仮)に集まる。

幸い、我々のたどり着いた時間が早かった事もあり、寝るスペースと寝具(掛け布団的な)ものはあった。

それでも4人+5人で布団2枚と毛布1枚。

スペースは待合室の長ソファー(4人掛け)が2つ分と床に段ボールが1枚。

このソファーを2つ並べて簡易ベッドにして眠りにつくことに。

初日は慣れない場所ということもあり、場所取り(というか取られないように)の側面も考え、自分と息子が避難所内で睡眠をとる事に。

妻や娘は防犯上のことも考えて車で就寝してもらう事とした。

この時はまだ電気は来ていて、灯油もあったから暖かかった。

まだなんとかなりそう?とか思ってた。

しかしちょっとウトウトした頃に突然やってくる余震…

さらに実際は揺れてなくても揺れたように体が錯覚して起きる事もある。

余震の警報が鳴るたびに目が覚めて、寝られない。

能登半島地震二日目

そして次の朝…

無駄に天気が良い。

昨日の夕方、あんな出来事さえなければ…

門松も倒れてる。

悲しい正月を物語ってる。

改めて被害の大きさを実感

(階段がズレているのがわかりますか?)

起きてみて改めて被害の大きさがわかった。

階段は割れて、ズレてしまっている。

点字ブロックに沿って歩いてたら怪我するな…

階段よりグラウンドを見下ろすと…

エグいひび割れ。

余震でさらにひび割れが悪化しそう…

1/2の時点でも震度5程度の余震は10回ぐらいはあった。

建物の中でも外でも安心できない気分。

君も家族と一緒に逃げてきたんだな。

外は寒いかもだけどしばらくの間、一緒に頑張って耐えような。

避難所駐車場にて…

被災してギリギリ逃げて来られたような車が数台…

緊迫感が伝わってくる…

その頃ランクルは…

話は変わって昨日、避難所に着いた時点でランクルのガソリンがなくなる寸前…

残り38km(攻めたらもうちょい走れますが)

4時間近く逃げ道を探してウロウロしてたランクル300の燃費がコチラです。

4時間あちこち走ったけど25.5kmしか移動できてない。

途中で地割れに遭遇して、バックしたり切り返したり段切りしたり…

9人乗車の低速で走行してたらなかなかランクルらしい燃費にw

ガソリン確保に動く

このままだとどうにも動けないのでガソリンを確保しに動く。

スマホは通じないし検索もできない状況下で、近くにあるGSまで徒歩で確認しにいく事に。

車で移動すると残り少ないガソリンを減らしてしまうために徒歩です。

暖を取るためにもガソリンが必要。

この時点ではどのぐらいの避難生活になるか想像ができなかったので。

(ガソリンは半分以上諦めてましたが、念の為に確認しに行く)

避難所から駐車場を出たところですでに地割れ

道路もかなりヤバい状況

避難所駐車場入り口でこの段差(15cmぐらい)

昨日来た時(1/1 20時頃)はこんなに段差がキツくなかった気がする…

余震でセリ上がってきた可能性も?

昨日の今日ですでに段差を埋める土嚢が入れられている!

地元の土木関係者だと思うけど感謝!

これがなかったら軽自動車みたいなタイヤの小さい車は走れない。

写真じゃわかりにくいですが、結構な勾配があります。

勢いよく通過してしまうとパンクの恐れあり。

ゆっくり通過できるような配慮が素晴らしいと感じました。

この坂を上から見た図。

通れるラインが限られてます。

段切りしながらゆっくり通過しないと二次災害の可能性。

エグい地割れ。

めっちゃ深いです。

余裕で膝ぐらいまで落ちる。

土嚢入れてみたけど深すぎて諦めた形跡が。

自然の力には抗えない。

こんなところを迂闊に走るとパンクは必至。

アスファルトがあっても、その下が空洞になってる可能性もあるのでこういうところは踏まないに越したことはない。

割れたアスファルトから液状化の形跡が確認される。

次の日でも近くの川は濁流が…

いつもはこの半分以下の水量です。

前日と前々日で雨は降ってないのでこの濁流は明らかに地震由来のもの。

ちなみに地震後数分で濁流が流れてました。

どこからか液状化の水分が流れ込んできたのだろうか…

だとすると山あいの小川でも地震の影響で氾濫する可能性もありそう。

大地震後の川の様子を動画で

地震の時は川の周辺もお気をつけください。

1/1 地震後数分の動画

次の日(1/2)同じ川の様子はこちらから。

普段は小川レベル。

水深なんて良くて数10cm

それが大地震でこのような濁流になるという…

恐ろしや…

橋を渡ったところで…

根本から抜け落ちている。

たったこれだけの鉄筋がハマってただけ。

そりゃそうだわな。

ガソリンスタンドを目指して歩く。

その途中で…

やっぱりランクルしか勝たん。

(ガス欠寸前で動かせないけど)

橋の継ぎ目がエグい段差になっていた。

これは普通の車では走破不可能。

20〜30cmぐらいある。

積んでて良かったworkman

余談ですが、このワークマンの防寒ブーツがめちゃくちゃ暖かかったです。

裏起毛でフカフカ。

空気の層が厚くて体温が逃げない。

そして軽いのが良い。

釣り行くからたまたま乗せてて助かった…

普段は雨じゃなければサンダルだから…w

あんな場面では寒さが一番の敵。

寒いと判断力も鈍るし無駄にネガティブになってしまう。

体が冷えないのはホント重要。

GS目指して歩いていると…

瓦屋根の賛否

能登の一般的な建物は、この黒い瓦が乗っています。

棟瓦がズレて屋根が土埃で白くなっています。

施工がしっかりしているとある程度は防げるようですが…(伝聞)

この地震で倒壊した建物の多くは、屋根に瓦が乗っていた古い耐震基準の建築物。

瓦は1枚2kgぐらいあるそうなので、一般的な大きさの家でも数tの重量が屋根に乗っているとか。

上に重いものを乗せると揺さぶられた時に倒壊しやすくなる。

瓦を乗せるのも考え物だなぁ…

最近はトタンやスレートでも性能が上がってきてるので地震での倒壊対策としては有効なようです。

下水のマンホールです。

液状化により泥水が流出。

配管はそのままで地盤が沈下してしまっているのでマンホールが盛り上がってしまってます。

他にもこんなマンホールも。

この倒壊した建物はおそらく倉庫か納屋。

柱の本数や筋交が少ない割に、瓦の枚数が多い。

人が住んでる場所では無いのが救い。

自衛隊さんありがとう

歩いていたら自衛隊の隊員さんに輪島までの道を聞かれました。

愛知から来てくれたようです。

割とこの辺りの地理には詳しい方ですが(親戚の家と釣りでよく来るので)教えた道が全て通行不可との事…

こちらは携帯が繋がらないのでどの道がどうなっているのか?の情報が全くわからない…

なんの役にも立てず申し訳ない…

輪島で大規模火災があったと知ったのもこの時。

隊員さん、輪島を、能登を頼みます。

倒壊した建物の中に…

とある建物が目についた。

前に回って絶句…

消防団の建物だった…

ここが倒壊しなければ…

もう1台戦力が増えたのに。

シャッターで建物の開口部が大きい分、強度が落ちたのか…

なんとも言えない気持ちになる…

改めて地震の被害が大きいことを知る。

この建物は比較的新しいので倒壊には至ってませんが、瓦のダメージがすごい。

酒屋さんのビールケースが倒れている。

建物のダメージも相当。

多分段差で飛んだであろうホイールキャップが。

全部撮っては無いですが至る所にキャップが落ちていた。

この段差もエグい。

そういえば昨日ここ通ったな。

夜はよくわからなかったけど気づかず通過してたら車のダメージデカそう。

電柱が傾いているのがわかりますか?

ここら一帯の電柱が軒並み傾いてました。

感謝しかない

昨日の今日なのにすでに砂利入れてスロープにしてくれてます。

多分同じ方がやってくれたんだと思う。

他の橋でも作業されてました。

地元の土木関係者の方だと思うけど。

感謝しかない!

緊急車両もスムーズに通行できてかなり助かったと思います!

引きで見るとこんなカンジ。

段差を埋めるように色々と工夫されています!

圧倒的感謝!

この橋の反対側です。

1車線だけでも確保するという懸命な判断。

この砂利とか、運ぶ2tダンプのリソースで最大限の効果を発揮するためにあえて片側だけにしたんだと思う。

事実、輪島方面に向かう車両は多いけど逆方向の割合はかなり少ない。

1車線でも通行できて、その先にある橋の段差も埋めてあればかなり流れは良くなるし車へのダメージも減らせる(パンク等)

1/2の午後の時点では最適な判断だと思いました。

こういうことがあるから、地元の土建業者さんを潰さないように公共事業を続けるべきだと個人的には強く思うところです。

このように緊急車両が通れるのも段差を埋めてくれたおかげです。

圧倒的感謝!

石材屋さんのショールーム

置いてあるだけのものは倒れてしまうんですね。

ガラスが割れて無いのが奇跡的。

増築した部分だけが残ったのかな?

こんな離れだけ倒壊するような事ってある?

地震のものすごいエネルギーを感じさせられる。

道路がエグいんよ…

横から見た図。

土嚢と比較してどのぐらい沈下したかわかると思います。

この辺りは液状化が酷い。

泥水が割れたアスファルトの隙間から吹き出した後の形跡

どこかの資材置き場なのかなぁ…

元々どうなってたのか想像もつかない…

ガソリンスタンドに到着

スタンドに到着。。。

やはりというか、予想はしていたけど営業はしていない。

スタンドの人(おそらく経営者)がいたので聞いてみたけど案の定ダメみたい。

そもそも電気が来ていないそうだ。

そう考えたら避難所は電気が来ているのが奇跡みたい。

スタンドから避難所に帰還

お礼を言ってスタンドを後にする。

いろんなものが傾いている。

楽天モバイルの基地局は輪島とは逆方向へ向かっていった。

何か理由があるのかな。

プレジャーボートも台から落ちている。

一緒に釣りする予定だったツレの船も無事なのか気になった。

(後日無事だと判明)

何の車種かは不明ですが、バンパーの破片。

段差に引っ掛けて壊れたんだろう。

ランクルでよかった。。。

(ガス欠寸前だけど)

こういう究極のシチュエーションではSUVが強い。

頼もしい。

引き続き避難所に向かって歩いていると…

猫に遭遇

飼い主は避難してしまったのかな?

かわいいけどどうにもできないのでゴメンな。

愛知県からの派遣に感謝

愛知県の初動が早くてビビった。

震災から24hも経ってないし、道も酷い状況。

自衛隊もそうだけど、医療支援もありがたい。

目にする災害派遣の車両がほぼ愛知ナンバー!

愛知の方には本当に感謝!

愛知で何かあれば次は我々が助ける!

日本の素晴らしき民度を感じた瞬間

近くの銀行がある

ここは陥没ではなく迫り上がったようだ。

ここは電気が通っている?

自動ドアが開いた!

ATMが破壊されたりしないのが日本の誇るべき文化。

この先移民なんかで外国人が増えたらどうなる事か…

ただいまお取扱できません

そりゃそうだ。

むしろ自動ドアが開くことに驚きを隠せない。

日本人の民度の高さが誇らしい。

この銀行の花壇?

地震のエネルギーよ…

人間の営みなんぞ小さすぎる。

歩いてると…

用水路の真ん中が盛り上がっている。

このまま放置すると埼玉の事故みたいに陥没しそう…

近くの郵便局の様子。

鳴り響く警報。

しかし誰も来ることが出来ない。

破壊されていないところに民度の高さを感じる。

消防車が垂れ下がった電線を交わしながら輪島方面に向かって行く。

普通に走れないという事がどれだけ不便なのか、よくわかった。

推しドラッグストアは!?

戻ったぐらいのタイミングで近くのドラッグストアが開いていた。

自分はスタンドに行っていたので同行はできなかったが妻と妹が買い出しに向かっていた。

地震の次の日にお店を開けてくれる、ゲンキーに感謝しかない!

店内は足元に商品が散乱していて片付けもままならない状態だったとか…

POSが使えないので手動入力のレジ打ちで、現金のみで決済。

災害時は現金の重要性が高い

私も妻も普段はあまり現金を使わない方なんですが、この時はたまたま現金を持ち合わせていた。

なぜならそう。

お年玉があったから

1/1ということもあり、子供達に頂いたお年玉を妻が預かっていたので現金を持っていた。

震災時に現金は必要

ゲンキーで現金

身に染みて感じました。

電子マネーやカード決済はこういう時に無力。

(通信も出来ない、ネットも繋がらない、携帯も圏外)

いくら口座にお金が入ってても現金がないと買えない。

現金の大切さを実感しました。

今後は財布にある程度の現金は入れておくようにしよう。

ゲンキーの神対応

そしてゲンキーに感謝!

震度7の次の日にお店開けるって普通じゃない(褒め言葉)

商品が散乱してて、混乱の中レジをしてくれた店員さんとお店を開ける決断をした店長さんとゲンキーの責任者に大感謝!

あそこの避難所にいた人はかなり救われました。

すぐ近くのア◯キは1/15ぐらいにようやく営業再開した記憶。

ゲンキーには足を向けて寝られない。

あれからずっとゲンキーファンです。

贔屓にさせてもらってます。

(石川資本のア◯キはどうなっとんねん)

暖かいものが食べられる喜び

で、避難所に帰ってから久しぶりの食事。

妹の旦那さんがたまたま積んでたキャンプ用品でお湯を沸かしてカップ麺にありつけた。

やっと正月らしくなった。

餅が食べられる正月って最高やん…

でもこの時、車の影に隠れてコッソリと食べていた。。。

なぜなら温かい食べ物は避難所では食べられない。

お湯を沸かす事が出来ないからだ。

避難所でみんながパンやおにぎりしか食べられない中で温かいラーメンを啜るのはどうにも抵抗があった。

変な目で見られないか?

常にこういう意識があった。

それにしても24時間ぐらい食べ物を口にしてなかったからこのカップ麺が美味すぎた。

人生で一番思い出深く、美味しく感じたカップ麺です。

不安な気持ちが一気に解消!

胃袋が落ち着いたところで外で休んでいたら、バタバタとローターの音が…

すぐ近くにヘリが着陸!

自衛隊の姿が見えたことで一気に安心感と涙が込み上げてくる。。。

『あぁ、これで死ぬことはなくなった』

って思いました。

何だろうこの安心感。

ほんと日本に生まれてよかったと心から思う。

自衛隊の皆様、あの時はありがとうございました。

一旦避難所に戻る。

不明者が掲示板に張り出されている。

(個人情報なのでボカシてます)

この時点で電気が通じていて、ストックされていた灯油もあったので寒さは凌げた。

水の重要性

しかし給水タンクの水が無くなりそうとのアナウンス。

なので外にあった雪を溶かしてトイレ用に。

思ってる以上に溶けない。。。

予想されていたがこのあたりから、トイレの環境が徐々に悪化。

1/2の夜の様子です。

通信状況はずっと不安定

この時、たまに、ごく稀にLINEの通知と不在着信の通知が来る。

しかしLINEは開けない。

着信はあるけど繋がらない。

稀に繋がっても通話は相手の声は聞こえるがこちらの声は相手に届かない。

ごく稀に(30回に1回ぐらい)ギリ通話が少しだけ出来たりする。

なので一応生きてるってことを伝えるために着信を残す。

この時、今までほとんど使ってなかったSMSでメッセージをやりとり。

一瞬繋がったりするのでこれが重宝しました。

皆さん覚えておいてください。

LINEはだめでもSMSなら繋がる

全く同じ状況にはならないかもしれませんが、私の場合はそうでした。

頻繁にやり取りは出来ないですが(バッテリー的に)

無事と所在を連絡するのに役立ちました。

そしてたまたま外に出たら…

災害派遣チームが到着!

長崎ナンバーのハイエースが2台

泉川病院の災害医療派遣チームでした。

すごいぞ!泉川病院!!

調べたら1136kmで14時間36分かかる計算やん…

しかも道が通れる前提での時間。

その間にも休憩とか挟むだろうから…

一体何時に出てきたんや…

って思って後々検索してみたら…

記事によると…

18:30に現地を出発したそうです。

わずか2時間後って…

準備諸々あるだろうに2時間って…

全く迷いがない!

行かないという選択肢が初めから無いみたい。

自衛隊並みの行動力!

素晴らしいの一言に尽きる。

感謝してもしきれない。

泉川病院の先生に道路状況を聞く

そして泉川病院の先生がこの避難所で被災者の診察をしていたので、妹の旦那さんが病院の先生に診察の合間に聞いてくれた。

『ここまで来れるって事は…』

『道が繋がってるって事ですよね?』

答えは『険しいけど通れる道はある』でした。

ルートはあるみたいで、繋がっている道がわかった!

ここまで道が通れるかわからないし、情報もなく帰ることを諦めていた。

生きた情報に感謝!

通信ができず情報も遮断されていてはどうにも動けない。

電気は来ているから避難所のTVは映るけど、通れるルートの情報は無し。

リアルタイムな情報が本当にありがたい。

ここで安全な日を選んで避難所から出ることを決意。

あ、あともう二つ泉川病院の素敵な話を。

当初は輪島市を目指して移動していたようです。

しかし道路の寸断で自衛隊やレスキューすら辿り着けない中でたまたま通りかかったこの避難所(仮)が目について立ち寄ったそうです。

本当に心強い

避難所にいる人たちはどれだけ安心した事か…

もう一つ。

ルートを聞いてる時に話の流れで給油可能なガソリンスタンドの有無を聞いていたら…

『ガソリン20Lぐらいなら融通できますよ』との事。

しかしそれは固辞しました。

直ちに生命に関わる状況ではないので、それはもっと有意義な事にお使いくださいと、断りました。

まぁ我々は若いのでなんとかなるさ!!

気持ちだけでも嬉しいです!

圧倒的感謝!

泉川病院に感謝!

まさかの取材

Xでこの投稿をしたところ、テレ朝の取材がありましたw

後日グッド!モーニングで放送されました。

普段マスコミは信用してないし、敵だと思ってるけど(笑)この時は泉川病院に感謝を伝えたくてZOOMにて取材を受けました。

宣伝にもなればいいなぁ!!

何回でも言う。

長崎県の泉川病院の皆さん、ありがとうございました!

ちなみに輪島で活動された後、帰りにも再度立ち寄ってくれたらしい。

本当に感謝!

助け合いってええなぁ…

なんかヌクモリティを感じたところで就寝。

二日目の就寝で感じたこと

2日目は私と妻が車で、妹旦那氏は避難所で就寝になりました。

子供達は妹とノアで車中泊。

妹の旦那氏がたまたま積んでたキャンプ用品に助けられた!

マットとシュラフが本当に暖かい…

ガソリンが少ない(ランプ点いてる)状態なので無闇にエンジンをかける事が出来ない中で本当に助かった!

正直言ってシュラフをナメてました。

シュラフいいよシュラフ

絶対に寒くなって起きてしまうと思ってた。

しかし実際は全然違った…

マットの上でシュラフに入って寝てたけど次の朝まで寒いと思ったことはなかった。

一度もエンジンをかけずに朝まで。

色々ありすぎてやっぱり寝れないけど全く寒くはなかった。

シュラフ(寝袋)の有能さがよくわかる。

必需品だと感じました。

ちなみに-5℃ぐらいまでのヤツらしい。

野口健さんに感謝

被災地支援でアルピニストの野口健さんが、全国各地から集めて能登に配ってました。

避難所では防寒と就寝環境を整えるってとても大事な事らしい。

避難所生活はどうしても長くなりがちだから、心が折れるみたいです。

その一つの要因が寒さと安眠。

私は数日の避難所生活でしたが、本当に心に沁みました。

ぜひ備えを。

我が家はこの後すぐに、人数分のシュラフを購入し、防災バッグに入れて備えました。

被災から二日経って…

1/3の朝。

夜から雨が降ってきて肌寒い。

昼夜関係なく緊急車両のサイレンが聞こえている。

避難所の様子はこんなカンジ。

ご覧の通り、昼ですが暗いです。

ついに停電

なぜなら停電になったから…

外はもっと明るいのですが、図書室の中まで光が入ってこない。

暗いというだけで気が滅入ってきますね…

外でお湯を沸かしていたらまた余震…

この音は何回聴いても心臓に悪い。

トイレの状況が悪化

給水タンクのストックもついに底をつき、手洗いすらできない状況。

無論、トイレを流す水も無い。

しかし唯一の救いは雨が降ってきたことでトイレ用の水は確保できる。

雨樋からトイレ用の水を確保している図。

何がキツいって手を洗えない事。

トイレ行ったり避難所の作業(荷物運んだり)して手が汚れても洗えないのキツい。

お尻ふきみたいなので拭いたところでなんか気持ち悪い。

この時、蛇口を捻って飲める水が出てくることの有り難さを知った。

ちなみに飲める水で洗車してるのは日本だけだとか?

このあたりからトイレの環境が一気に悪化。

拭いた紙を流せない(詰まるともっと大変)のでトイレの中にゴミ袋が引っ掛けてあって、そこに入れていく方式でした。

この方式を取り出してからわずか半日でトイレの環境が崩壊。

贅沢は言ってられない状況でしたが、かなりキツかった。

アルピニストの野口健さんもトイレの重要性をかなり言っておられました。

トイレの状況を悪化させないために…

仮設トイレがすぐ来ないのでそれまでの凌ぎにこういうのがあるそうです。

よろしかったら参考にしてください。

ラップポン

腐るものでも無いですし備えておいてもいいのかも。

集会所とかにあるといいかもですね。

改めてゲンキーに感謝

とりあえず朝食。

前日に確保できたカップ麺。

改めてゲンキーに感謝!

あそこが開いたおかげで空腹にならずに済んだ方はかなり多いのではなかろうか。

ほんと美味い。

ゲンキーはネ申か

避難所の脱出を相談

そして妹夫婦と相談し、避難所から出る事を決意。

理由はいくつかあって…

1・泉川病院のハイエースが通れたなら帰れるだろう

2・今後避難所の治安悪化が予想される

3・トイレ等の衛生環境が悪い

一つづつ掘り下げる。

1の問題

ランクルなら余裕だが、妹夫婦のノアだと段差を超えられない可能性があった。

しかし泉川病院のハイエースが通って来れたので行けると判断。

ランクルはガス欠なので一旦置いて帰って後日ガソリン持参で回収する事に。

2の問題

治安の悪化懸念なんですが、妹の旦那さんの経験談からです。

彼は神戸出身です。

阪神淡路大震災の被災者でもあり経験者です。

学生だった頃に被災し、当時の避難所の様子や火事場泥棒に遭遇したリアルな実体験を聞きました。

避難所で女性や幼い子供の性被害や盗難等、TVや新聞では報道されないアレコレがあったみたいです。

以上の理由から、まだ状況がいいうちに脱出する事を決意。

自分だけだと、もう数日いたかもしれない。

妹旦那氏の決断に感謝。

今は何も無いけど、何かあってからでは遅い!

3の問題

前述の通り、共用トイレがキツかった…

他人の便の臭いがどうにも耐えられない。

贅沢は言ってられないけど、本当にキツい。

2日半の間は、小だけの利用でしたが滅入るレベルでした。

冬だったので密集してるし、例の感染症の懸念もあります。

避難者にお年寄りが多いので、いろんな感染症が懸念されます。

この先ノロとか流行ったら地獄になりそうな雰囲気。

この後数日で仮設トイレが設置されたとの情報をXで拝見したけど、それまでキツかっただろうなぁ…

そんなこんなで脱出を決意。

今度は妹夫婦のノアに9人乗車で帰って一旦体制を立て直す事に。

ありがたき救援物資

帰るのを決めたあたりから続々と避難所に救援物資が届く!

ホントありがたい。

困った時は助け合い、これが美しき日本の風習。

見直したへずまりゅう

あ、この避難所を出る直前に、【へずまりゅう】を見かけました。

震災の直前ぐらいまで、悪名の方が高かった。

この震災にも便乗した売名行為とまで言われていた。

しかしあの時見かけたへずま君からは、そんな売名してやろうとかっていう雰囲気は感じられなかった。

その後もしばらく被災地でボランティアや炊き出しをやっていたね。

感謝します!

今では奈良公園でパトロールしたり、ゴミ拾いをしたりしていて尊敬する。

やはりあの時感じた雰囲気は本当だった。

改めて言う。

へずま君、有難う!

避難所を後に…

避難所を後にしようとする前に近くにいた人に挨拶。

『我々はここから出るので、ここで使わせてもらってたソファと掛け布団を使ってください』

お年寄りだった。

近くの老人ホームが停電のため、どんどんお年寄りが増えてきていたので、少しでも広くなれば快適になるでしょう。

ベッドにしていたソファが余るので上手く活用してくれたら嬉しいですね。

出る前に掲示板を見たら『探しています』が増えていることに気づく。

早く見つかりますように…

避難所から脱出

そしてここから避難所脱出編

ノアの定員オーバーになりますが、緊急事態ということで…

避難所のすぐ横には各地からレスキューがきている!

(レスキュー隊の詰め所みたいになっていました)

日に日に増えていく救助の手に感謝しかない。

物資も沢山積んできているようだ。

光景に驚いた

少し走ると違和感に気づく。

よく通った道、明らかな違和感

漁港に水がない。

干上がっている。

過去のGoogleストリートビューと見比べてみると一目瞭然。

そして車から降りてみて感じる事。

臭い。

かなり生臭い。

それもそのはず。

テトラ(波消しブロック)についた線が元あった水位。

そこが露わになっているので海藻類が腐って悪臭を放っている。

あれ?これって海岸線が上がったって事…!?

(この時点で隆起した情報はまだ入ってなかった)

隆起していたことで生きている事に気づく

地殻変動で地面がせり上がったから海岸線が後退した?

と、いうことは…?

ここで背筋が寒くなる…

地震直後に通知が来ていた【大津波警報5m】は本当だったのか。

あの時、津波が来ていた。

そしてたまたま隆起していたので津波の被害が軽減した。

何万年に一度の海底隆起で…

もし、隆起がないまま津波だけが来たらと思うと…

ゾワっとした。

本当についている。

地震には遭遇したけどついている。

隆起がなければ、津波に飲み込まれていたかもしれない。

海岸のすぐ近くでの地震だった。

助かった。

生かされてる。

神様に感謝して今後も強く生きよう…

この辺りは4mの隆起があった地域。

能登半島一帯で一番隆起したところ。

あとでデータを確認したら…

地震の前後でこれだけ海岸線が変わったようです。

⇩こちらが地震の前

⇩こちらが地震の後

明らかに海岸線が変わってますね。

生かされていると改めて実感。

動画でもどうぞ。

感謝して強く生きよう。

帰り道の光景

帰り道方向に走らせる。

道路は延々とこんなカンジ。

割れたアスファルトと段差の中を少しづつ、安全に車を進める。

地割れにタイヤを取られて動けなくなってる車も…

途中でエグい落石が…

余裕で人より大きい岩。

こんなのが落ちてきたらひとたまりもない。

ここで運悪く地震に遭遇したらと思うと…

改めて運が良かったと感じた。

この崖も地震の影響で崩れている。

改めて地震のエネルギーの大きさを実感。

寄ると…

さらに寄ると…

なんか落ちてるね…

車を進めていくと…

割れたアスファルトを踏んでパンクしたのか?

こういう立ち往生した車が沢山放置されていました。

こういう時は車の移動に気をつけねば…

我々も最新の注意を払って帰るとしよう(戒め)

さらに進むと…

貴重なガソリン!

スタンドが営業している!!

と、いうことで給油をすることに。

20Lの制限があったけど、途中何があるかわからないからとりあえず補給。

ガソリンのありがたみがよくわかる。

(こんな時にEVは全く使えないと思った)

まぁランクルもガス欠で置き去りにしたままなんですが…

こんな時でも営業してくれてたスタンドに感謝!

迂回のできない道路はやはり渋滞が結構ありました。

片側づつ通るところは必然的に混んでいた。

ある程度選択肢の多い道路まで出ると一気に車が流れる。

海沿いの1本道が終わったところで安心感がすごかった。。。

無事帰宅

そしてようやくなんとか帰宅。

いつもなら2時間もかからないぐらいの道なのに6時間弱かかった。

そして妹夫婦も一緒に賑やかな正月を安心して過ごす。

安全地帯に戻ってから食べたはま寿司。

美味かったなぁ…

サンキューラーメン!

ちなみに自宅も揺れましたが、このぐらいの被害で済みました。

大したことなくてよかった…

救援物資を補給

そして一旦立て直す為に救援物資を準備。

水、食料、トイレットペーパー、ティッシュ、ウェットティッシュ、カセットコンロ、ガス、ガソリン、電池、キャンプ用品etc…

使えそうな物はとにかく積んだ。

しかし困った事に、ガソリンの携行缶がとにかく無い。

弟にも頼んでホムセン巡ってもらってなんとか5Lと10Lの携行缶を手に入れた。

前の会社の上司も携行缶を貸してくれて、なんと中身まで満タンにしてくれたという…

圧倒的感謝!

明日の早朝からまた能登へ出撃。

実家と親戚の家に物資を届けるのとガス欠ランクルの回収に行く。

風呂のありがたみ

準備をしてから3日ぶりの入浴。

風呂に入るということが途轍もなくありがたいことがわかった。

ほんとサッパリした!

やっぱり風呂に入ってキレイにしないと気持ち悪い…

そして思いっきり寝た。

布団が幸せすぎる…

日常がこんなにも幸せだったとは…

次の早朝…

救援物資を積んで出撃!

一緒に釣りをする予定だったツレが我々と一緒にハイラックスで能登に向かってくれる。

出る前でこんなカンジだけど行けそうなので行ってきます!

Screenshot

ハイラックスに物資を積んでまずはランクルの回収に向かう。

こんな道路状況でも余裕のハイラックス。

走れる道はかなり限定的だったけど安心感が違う。

世界のTOYOTA

絶対にトラブれない

こんな状況下で無類の安心感を発揮する。

これが世界のTOYOTAが誇るピックアップトラック。

ランクルも強い(今はガス欠だが)

普段の倍ほどの移動時間をかけて親戚宅に到着し、支援物資を補給。

これよりランクルの回収に向かう!

そして避難所近くに差し掛かった時に…

地震直後にこの道を通った時はまだマンホールがこんなにせり上がってなかった。

度重なる余震でここまでせり上がったんだと推察。

強い余震で今まで通れた道が不通になってる可能性も考えねば…

そして避難所到着。

ガス欠のランクルを回収

ランクルを回収する。

とりあえず準備してきたガソリンを給油。

なんかたくさん並んでますが、5Lと10Lの入れ物なので35L分を給油。

燃料さえあれば最強の車!

ランクル復活!

って思ったら…

ランクルにトラブル発生

まさかのバッテリー上がり!

しかし準備の良いツレがハイラックスにブースターケーブルを積んでいたので無事復活!

ようやく最強の車が息を吹き返した!

これを機に、1台に1セット買いました。

長い方がお互い寄れない時に使いやすい。

復活したので実家に忘れ物と救援物資の補給に向かう!

やはりランクルの安定感は違った。

道中ヤバい道もあったけど、難なくクリア。

道はやっぱり荒れていた

その様子はこちらから。

途中幅のヤバいところや段差のエグいところもかなりありました。

地震直後に土砂崩れで寸断されていた道路が通れるようになっていた!

しかもわずか2日で!

啓開作業に感謝!

道中の渋滞はエグかった…

元々少ない道路が寸断されたりしていて、通れる道路がかなり限定的だったので車が集中。

ご覧の通り緊急車両も渋滞に巻き込まれてしまっています…

(私は実家に救援物資を届ける為なので許して…)

(この動画はツレのハイラックスからの目線です)

実家に到着!

なんとか無事、実家にも到着。

当面の発電機用のガソリンを補充。

実家は何でもあるのである意味よかったかも!?

実家の被害は本が散乱。

花瓶も落ちていた。

墓もズレている。

スリングかけて引っ張ってみたけど動かなかったみたい。(親父談)

浄化槽が浮いてしまっている。

一応問題はなかったみたい。

実家に帰れなかったので、置き去りになってた荷物を回収。

ランクルの積載性

妹旦那氏の仕事道具(ノートPC等)も回収できた。

食料やガソリンなどの救援物資を積んできた帰りに、我々の荷物と空になった携行缶でランクルはパンパンw

2列目は倒してフルに積載しています。

改めてこういう使い方ができるランクルに感謝!

これだけ積んで悪路も安全に走破できる、素晴らしきポテンシャル!

ランクルしか勝たん!

さて帰り道。。。

途中土砂崩れに巻き込まれたっぽい車を発見

土砂は取り除かれ、泥だらけで動けなくなってる日産ノート。

たまたま地震のタイミングで崩れるところを走ってたんだなぁ。

我々は運が良かった。

そして再び渋滞の中、自宅に帰る。

災害派遣の自衛隊。

自衛隊は緊急車両じゃないから、サイレン鳴らした上での緊急走行ができないというクソみたいな法律の建て付け。

なので一般車と同じ括りで渋滞の中を移動せざるを得ない。

自衛隊が行けば助かる命もあるだろうに…

選択的夫婦別姓とかガソリン減税潰すぐらいならこういう話を国会でやれよ。

人の命がかかってんだよ。

緊急性のある話からしろ。

特に選択的夫婦別姓なんか優先度低いやろ。

おっと、心の声が漏れてしまった。

まぁとにかくクソ。

国や政府に頼れないってはっきりわかんだね。

ということで、みなさん備えましょう。

いざという時、国は守ってくれる保証はありません。

災害に備えよ!

なので私は備えました。

いつ被災しても耐えれるように、とりあえず人数分のシュラフを購入。

同じ物ではないですが、写真のヤツより上等なものだと思う。

これを現在も車に常備しています。

この日本で災害の心配がないところはどこにもありません。

被災した経験から言うと、とにかく

備えてください。

いつ、どこで起こるか予想できない災害で命を落とさない為にも…

とにかく私が言いたかったことはこれだけです。

地震で被災した経験を書き殴った長い長い記事を見ていただきありがとうございました。

皆様に幸多からん事を…

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カテゴリー: 未分類

作成者: yskda17v

上場企業を40歳で早期退職した就活記録やあれこれ。 趣味の釣りや車、DIY、なんかの記録です。

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